北海道を代表する岬の神威岬や襟裳岬、宗谷岬、雄冬岬、北見神威岬、納沙布岬など北海道の岬の名の由来や歴史などを紹介
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北海道を代表する岬の神威岬や襟裳岬、宗谷岬、雄冬岬、北見神威岬、納沙布岬など北海道の岬の名の由来や歴史などを紹介

北海道の岬

北海道を代表する岬の神威岬や襟裳岬、宗谷岬、北見神威岬、納沙布岬など北海道の岬の名の由来や歴史などを紹介。



代表的な岬


 神威岬  (神威岬・積丹)
北海道でも有数な美しい海岸線や景勝地である積丹半島。その中で特に積丹岬と神威岬は、絶景です。特に積丹岬には、島武意海岸があり、日本の渚百選にも選ばれた景勝地と積丹ブルーとも言われる海の色が美しい場所です。

(1)神威岬

ニセコ積丹小樽海岸国定公園の積丹半島の北西端に位置し江戸時代には、蝦夷三嶮地の一つとして海上交通の難所としても恐れられていた神威岬は、日本海の荒波によって侵食されてできた北海道でも有数の景勝地で昔から伝説の多い場所としても有名です。</DIV>
安政3年(1856)以前は、この岬から北の奥地は女人禁制の地であった。一説ではあるが松前藩はアイヌとの交易権が収入源であったことから和人が奥地に住みつかれることを嫌い「神威岬より北、婦女子の通行を禁じ、和人の土着を許さない」ということが何時しか女性を乗せて岬越えをすると神威岬に棲む魔神が女を乗せた船がこの岬を通るたびに必ず大時化を起こし船もろとも海底にひきずり込むという伝説となったと言われています。また女人禁制は、アイヌ娘(シェレンカ)の呪いとゆう言い伝えもあります。
これは、悲劇の英雄義経主従が日高アイヌの所に滞在した時、アイヌの娘(シェレンカ)と恋におちたが大望を抱く義経は、北へと向かい義経を慕うアイヌの娘は、義経を追って神威岬まで着たが義経一行は出発した後であった。娘は、泣き狂い「和人の船婦女を乗せてここを過ぐれば覆没せん」と叫んで海中に身を投じたのである。その娘の化身といわれるのがメノコ岩であると言い伝えられています。
江差追分にも、妻子や愛人を残し、この恐ろしい海峡を越えて奥地に向かう人々の別離の哀しみを切々に歌い上げた歌詞もあり、魔の海域であったことがうかがえます。


 宗谷岬の灯台と像  (宗谷岬・稚内)
日本最北の岬で宗谷丘陵の北側に位置する岬です。宗谷丘陵は、山火事によって木々が焼かれ宗谷の風が強い事から木々が育たず今の丘陵となっています。

(2)宗谷岬

オホーツク海に面し宗谷丘陵の先端に位置し日本最北の地である宗谷岬は、晴れた日には43kmの洋上にサハリンが望めます。宗谷岬は、江戸時代から北方警備の地としてロシアへの軍事基地として栄えた所でもあります。明治34年に建設された旧海軍望楼が当時の緊張した情勢を物語っています。
慶長8年、松前藩領になったとき、宗谷に利尻・礼文・樺太を司さどる役宅が置かれたのが和人による歴史の始まりです。
文化4年、ロシア艦船の来航に備え、津軽・会津の両藩兵が交代で警備にあたった。この警備は明治維新の直前まで続けられた。
文化5年(1808)には、間宮林蔵と松田伝十郎らがこの宗谷岬から樺太に渡りました。他には、最上徳内や近藤重蔵・松浦武四郎などが宗谷岬の歴史に足跡を残しています。
この宗谷岬を舞台にした井上靖の「魔の季節」や辻邦生の「北の岬」・八木義徳の「海豹」などがあり、北原白秋・斉藤茂吉・土屋文明など多くの詩人・歌人・俳人がこの地を訪れ作品を残しています。


 北見神威岬  (北見神威岬・枝幸)
オホーツク海に突き出している北見神威岬。岩礁が広がっている為に海岸に近寄ると岩礁に当り転覆する事から昔から恐れられていた岬です。

(3)北見神威岬

青黒く広いオホーツク海に突き出すように北見神威岬があります。オホーツク海の荒波にあらわれた岩礁群があり古来より宗谷と枝幸とを遮断して人々の往来や物資の交流に障害を与えた海上交通の難所でした。
作家の辻邦生は「荒涼の地の果て」に岬の印象を書いているのを始めオホーツクの旅情とロマンなど、この海を舞台に書かれた小説が渡辺淳一の「流氷の旅」や辻邦生の「時の扉」・源氏鶏太の「流氷」などがあります。


 襟裳岬  (襟裳岬・えりも)
歌にもなっている襟裳岬は、風の強い岬で風速10mを越える風が一年に300日も吹くと言われる岬です。この時は、台風の通過後でもあり、海は、荒れていたが風は、無い日でした。

(4)襟裳岬

北海道の日高山脈の南端に位置する襟裳岬は、日高山脈の一部が海中に約1.3qにも達する干出礁脈を形成し、怒涛と戦って削り取られた岩礁や断崖絶壁が深く海中に走り豪放な景観を呈する岬です。この岬は、沖合い遠く無数の暗礁が散在し風波が絶えず、春や夏の頃には濃霧により難破する船が多かった事から古来から魔の海と恐れられていました。
明治に入っても岬を越える道は険しく十勝の祖、依田勉三は移民を連れて日高から十勝に向かったとき、磯を伝い、岩に梯子をかけ互いに手を取り合ってこの海岸線を歩いたと日記に残している事からもこの岬が交通の難所であったことが窺えます。
岬の東側には、百人浜という砂浜が荒涼と続く、この浜の地名の由来は、文化年間南部藩の御用船がこの沖で難破し百人の乗組員が浜にやっとたどり着いたものの寒さと飢えで全員が死亡したものと言われています。襟裳岬から北上すると海岸に落ち込む絶壁を削って縫うように国道が走っています。通称「黄金道路」と呼ばれていて建設には、8年の歳月と莫大な費用が掛かったことから黄金を敷き詰めた様な道路と言われこの様な呼び名がついた。


 納沙布岬  (納沙布岬・根室)
北海道の最東端の岬で北方領土に最も近い場所です。運が良ければブルーアワーが撮れる岬でもあります。

(5)納沙布岬

根室半島(花咲半島ともいう)の東端に位置し、歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島の北方領土を望む北海道最東端の岬で、また、朝日が一番早く見られる岬として全国に有名です。ロシアとの国境は、岬から珸瑶瑁水道(ごようまいすいどう)の3.7q沖の無人島貝殻島との中間にあります。この岬は、昔からガスと呼ばれる海霧が年間50日以上発生し、珸瑶瑁水道は、海流が激しく暗礁も多いことから船乗り達には魔の海と恐れられていた。
この岬の突端に建つ燈台は北海道では、最初の本格的な燈台として建てられたものです。また岬には「寛政の乱 和人殉難墓碑」が立っています。この墓碑は、アイヌ民族と和人の最後の戦いと言われている「国後・目梨の乱」によって死亡した和人を祭ったものです。この岬を題材にした小説が火野葦平の「氷と霧」や水上勉の「海の墓標」・渡辺淳一の「北方領海」・西本正明の「オホーツク諜報船」などがあります。














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