北海道の概要や歴史、道北、道東、道央、道南の四つに分けて北海道の観光スポット、地名の由来などをご紹介
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北海道の概要や歴史、道北、道東、道央、道南の四つに分けて北海道の観光スポット、地名の由来などをご紹介

北海道・観光スポット


北海道の概要や歴史、道北地区、道東地区、道央地区、道南地区の四つに分けて北海道の観光スポット、地名の由来などをご紹介。



(北海道の概要と歴史)
北海道の面積は、日本の国土の約21%を占める日本では二番目に大きな島で人口は、日本の総人口の約5%にしか過ぎない。
北海道の森林は、自然林や人工林を含めて北海道の面積の約60%とも言われ、更に自然林だけですと北海道の面積の約60%の更に約60%と言われています。
北海道は、春夏秋冬、様々な見所が沢山あります。例えば、日本海に沈む夕日が美しい黄金岬、アイヌ伝説のある神威岬や襟裳岬、朝日の昇る納沙布岬、海上交通の難所の北見神威岬、宗谷岬などがある他、歴史を感じられる函館や小樽、大都会の札幌、アイヌの歴史が分かる旭川や白老、平取などや日本で三番目の大きさのサロマ湖や日本一大きいカルデラ湖の屈斜路湖、摩周湖、支笏湖、大沼・小沼など自然や異文化などを取り入れて来た場所です。北海道の地名の由来は、松浦武四郎が北海道の地名六案(日高見、北加伊、海北、海東、東北、千島)の原案と11国86郡を提出、その中の北加伊を採用したと言われています。北加伊の原案の内容は、蝦夷を音訳で「か」と「い」と読める事から北の加(か)伊(い)にしたが江戸時代は、諸国はすべて道で繋がっていた事から明治政府によって蝦夷は、北前船が往来していた事から北の海を越える道があるから「北海道」と改名したと言われています。




道北地域の観光スポット

 宗谷岬・宗谷灯台・稚内
 (宗谷岬・稚内)
日本最北の岬の宗谷岬、この地には、日本の灯台50選にも選ばれた宗谷灯台があるほか、宗谷丘陵や間宮林蔵渡航の碑、宗谷護国寺跡、宗谷歴史公園、津軽藩兵詰合の記念碑、北の黄金道路、大岬旧海軍望楼跡などがあります。また、ノシャップ岬や稚内公園、オロロンラインからの利尻富士、サロベツ原生花園などが見どころの地域です。
 黄金岬・留萌  (黄金岬・留萌)
日本海に沈む夕陽の名所である黄金岬。留萌から稚内までの海岸線の道がオロロンラインと呼ばれ北上すると小平の鰊御殿や松浦武四郎の像がある「にしん文化歴史公園」や日本海に浮かぶ天売・焼尻島が望める他、39基の風力発電機が立ち並ぶオトンルイ風力発電所があり風光明媚な地域です。
 北見神威岬・枝幸  (北見神威岬・枝幸)
北海道の海上交通の難所のひとつである北見神威岬。昔から積丹半島の神威岬や襟裳岬、根室の納沙布岬、稚内の宗谷岬は、難所と恐れられた岬です。また、オホーツク海の海岸線をオホーツクラインとも呼びホタテ養殖とインディギルカ号遭難などの猿払やクッチャロ湖の浜頓別、ウスタイベ千畳岩の枝幸などがある地域です。
 函岳・美深 (函岳・美深)
晴天の時は、西に日本海に浮かぶ利尻富士、東にはオホーツク海が望め360度のパノラマが見られる山です。また、トロッコ王国がある仁宇布地区やサンピラーが起こる名寄、めん羊牧場がある士別、マイナス41.2度を記録した幌加内などがある地域です。 

 地名  地名の由来
 稚内市 アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」が語源で「冷たい水の流れる小川」の意味で「ヤム」が除かれ「ワッカ・ナイ」に当て字をされたと言われ、日本最北の街です。
 利尻島 アイヌ語の「リー・シリ」が語源であり、「高い島」の意味で利尻山を指しており、日本で唯一海抜 0mの山でもあります。
 礼文島 アイヌ語の「レプン・シリ」が 語源であり、「沖の島」の意味で海抜0mから約200種類以上の高山植物咲く事から「花の浮島」とも呼ばれています。
 猿払村 アイヌ語の「サラ・プツ」 が語源で「あり、葦原の河口」の意味で日本最北の村でホタテ養殖や村の面積の約8割が森林です。歴史的には、昭和9年に樺太(現サハリン)の真岡との間に海底ケーブルが設置されて場所。昭和14年には、ソ連船の「インディギルカ号」の座礁で約430名が救助された事で有名です。
 浜頓別町 アイヌ語の「トー・ウン・ペツ」が語源であり、「湖から出る川」の意味で湖からの水がオホーツク海に出る所の川からが由来とされています。また、浜側に位置している事から浜頓別となったと言われています。 
 枝幸町 アイヌ語の「エサ・ウシ・イ」が語源であり、「頭が浜についている所」ですなわち「岬」の意味とされています。毛蟹籠漁日本一の町です。 
 豊富町 アイヌ語の「イペ・コロ・ペツ」で「食物が豊富な川」の意味で豊富からと言われています。日本最北の湿原・サロベツ湿原がある町です。 
 幌延町 アイヌ語の「ポロ・ヌプ」が語源で「大きな原野または大草原」の意味で「ポロ・ヌプ」が転化して「幌延」の漢字が当てられ呼び方が「ほろのべ」となった様です。 
 中頓別町 アイヌ語の「トー・ウン・ペツ」が語源であり、「湖から出る川」の意味で頓別川の中流に位置する事から中が付いて中頓別となったと言われています。 
 天塩町 アイヌ語の「テシ・オ」が語源であり、「やな・ある」の意味で天塩川の河口に位置する事から名付けられたと言われています。大粒の「シジミ」が有名です。 
 遠別町 アイヌ語が語源と言われているが諸説あり、アイヌ語の「ウェン・ペツ」の「悪い・川」の意味や 「ウ・イェ・ペツ」の「相・話す・川」、「ウエペツ」の「二股の川」などである。
 初山別村 アイヌ語の「ソー・サン・ペツ」が語源であり、「滝が下る川」の意味です。 
 羽幌町 アイヌ語が転訛したもので諸説あります。アイヌ語の「ハホロ・ペツ」で「流出・広大・川」の意味と「ハプル」で「「柔らかい」(海岸がやわらかい事から)、「ハプオロオペツ」で「そこ・多くある・川」などがある。 
 焼尻島 アイヌ語の「エハンケ・シリ」で「近い島」の意味や「ヤンケ・シリ」で「水揚げする島」に由来すると言われています。 
 天売島 アイヌ語の「テウレ」で「魚の背腸」もしくは、アイヌ語の「チュウレ」で「足」の意味とされアイヌ語の音訳に由来すると言われています。 
 苫前町 アイヌ語の「トマ・オ・マイ」が語源であり、「エゾエンゴザク・ある・場所」の意味があると言われています。 
 小平町 アイヌ語の「オピラ・ペツ」が語源で「河口に・崖・ある・川」の意味で小平蘂川(おびらしべかわ)に由来すると言われています。 
 留萌市 留萌川を指すアイヌ語の「ルルモッペ」が語源とされ「潮が奥深く入る川」の意味とされています。日本海に沈む夕日とニシンの子の数の子で有名な街です。 
増毛町  アイヌ語の「マシュキ二」または「マシュヶ」が語源とされ「カモメの多いところ」の意味と言われています。現在も明治・大正・昭和のレトロな歴史的建造物群が立ち並ぶ街でもあります。 
 中川町 天塩川の中流に位置する事が由来とされている他、松浦武四郎が北海道の地名の原案を提出した際に北海道を86郡に分けた中川郡からとも言われています。 
音威子府村  アイヌ語の「オ・トイネ・プ」が語源で「河口・土で汚れている・もの」の意味に由来。松浦武四郎により、「北海道」の地名を命名した地と言われています。 
 美深町 アイヌ語の「ピウカ」が語源で「石の多いところ」の意味です。北海道の長流の「天塩川」の命名由来の地と言われています。ちなみに天塩の名の由来は、松浦武四郎が名付けた天塩国からと言われています。 
 名寄市 アイヌ語の「ナイ・オロ・プト」が語源で「渓流に注ぐ口」の意味と言われ、名寄川が天塩川に合流する様からと言われています。 
旧風連町は、アイヌ語の「フ・レ・ペツ」が語源で「赤い川」に由来すると言われています。
 下川町 アイヌ語で「パンケ・ヌカナン」と呼ばれ「川下の・ヌカナン川」の意味に由来している。 
 幌加内町 アイヌ語の「ホロカ・ナイ」が語源で「母川の向きとは、逆方向気味に流れる川」の意味とされ本流の雨竜川に対し逆方向に流れた事から言われています。 
 士別市 アイヌ語の「シ・ペツ」が語源で「大いなる川」の意味です。屯田兵制度の最後の兵村が置かれた地域でもあり、道東の標津町と読み方が同じ為に「サムライ士別」と呼んだ時期もありました。 
 剣淵町 アイヌ語の「ケネ・ペツ」が語源で「ハンノキの多い川」の意味です。 
 和寒町 アイヌ語の「ワット・サム」が語源で「オヒョウニレの木・傍ら」の意味とされています。 
 鷹栖町 アイヌ語の「チカ・プ二」で「大鳥が棲むところ」の意味で鷹が多くいた事からが由来とされています。 
 比布町 アイヌ語の「ピピ」又は「ピプ」が語源で「石の多いところ」の意味とされています。 
 愛別町 アイヌ語が語源とされているが諸説 ある様で「アイ・ペツ」で「矢またはトゲ・川」の意味と「アイペット」で「水の流れが矢の様に速い川」の意味からと言われる説もあります。
 上川町 大正10年に愛別村から分村、石狩川の上流に位置する事から「上川」を命名された。尚、アイヌ語の「ペニウンクル・コタン」で「川上の人の村」の意味からの説は偶然の結果。 
 当麻町 アイヌ語の「ト・オマ・ナイ」または「トオマ」が語源で「湿地の多いところ」の意味。世界的に珍しいストロー状の鍾乳石のマカロニ鍾乳管で有名な当麻鍾乳洞がある。 
 旭川市 アイヌ語の「チップ・ペツ」の意訳の「波立つ・川」の意味と言われているが訛って「日の照り輝く川」に訳されて「日の照り輝く」を一字にすると「旭」から「旭川」の地名となったと言われています。 
 東川町 アイヌ語の「チップ・ペツ」で旭川と語源は同じであるが旭川の東に位置する事から「東川」と名付けられた地名。 
 東神楽町 アイヌ語の「ヘッチウス」が語源で「神々が楽しく遊ぶところ」の意味で「神が楽しく」から神楽村となり、神楽村の東に位置する事から東を付けて町名としたと言われています。 
 美瑛町 アイヌ語の「ピエイ」が語源で「油の流れる川」の意味でアイヌ語の「ピエ・ペツ」が訛って「ピエイ」になって漢字を当て字したと言われています。 
 上富良野町 アイヌ語の「フラヌイ」が語源で「硫黄臭いところ」の意味で明治30年に富良野村を創立し明治36年に上富良野村と改称。 
 中富良野町 地名の語源は、上富良野と同じだが上富良野村から大正6年に分割し中富良野村となる。 
 富良野市 明治36年に富良野村南方が分割して下富良野村となり、大正8年に町制施行により富良野町と改称。 
 南富良野町 明治41年下富良野村から分割し南富良野村外1ヶ村戸長役場設置。大正8年に二級町村制施行し南富良野村となる。 
 占冠村 アイヌ語の「シ・ムカプ」が御縁で「鵡川の本流」の意味で「ム・カ」は「水がしみ出す」の意味から「水がしみ出す川の本流」の意味とされている。 




道東地域の観光スポット

 サロマ湖・佐呂間
 (サロマ湖・佐呂間)
琵琶湖、霞ヶ浦に続く日本では三番目に大きい湖のサロマ湖。また、網走五胡のひとつでもあります。ちなみに網走五胡とは、能取湖、網走湖、藻琴湖、涛沸湖、サロマ湖を指します。雄武の「日の出岬」や紋別の「オホーツクタワー」、網走の卯原内の「サンゴ草」、清里の「斜里岳」、知床半島など北の北海道の大自然が満喫出来る地域です。
 摩周湖・弟子屈  (摩周湖・弟子屈)
霧の摩周湖とも呼ばれ特に6月から8月にかけて霧に覆われる事の多い湖で別名「七色の湖」とも言われています。隣には、日本最大のカルデラ湖の屈斜路湖、アトサヌプリ(硫黄山)、阿寒湖、北海道三大秘湖の「オンネトー」など知床阿寒火山帯の一部である事が分かる神秘の風景が見られる地域です。
 納沙布岬・根室  (納沙布岬・根室)
北海道では一番早く朝日が昇る岬で北方領土も目の前にある国境に最も近い岬です。また、別海の「野付半島」やヒカリゴケで有名な羅臼のマッカウス洞窟、標津のサーモンパーク、自然の宝庫とも言われる風連湖などがある地域です。
 釧路湿原・釧路 (釧路湿原・釧路)
日本最大の湿原である釧路湿原は、国の特別天然記念物の丹頂鶴が生息している湿原です。また、霧多布湿原は「花の湿原」との呼ばれていますし浜中から厚岸・釧路なでの海岸線の道路を「北太平洋シーサイドライン」とも呼び幻想的な光景の中を走る道路としても有名です。更にこの地区は北海道難解地名が多い所でもあります。
 襟裳岬・えりも (襟裳岬・えりも)
風の岬とも呼ばれる襟裳岬。一年365日の内300日が風速10mの風が吹くとも言われる岬です。また、襟裳岬から広尾までの道路が黄金道路とも呼ばれています。広尾は、日本で唯一「サンタ・ランド」の認定を受けた町、お菓子やガーデンで有名な帯広、花畑牧場で有名な中札内、十勝千年の森がある清水などがある地域です。 

 地名  地名の由来
 雄武町 アイヌ語の「オムイ」が語源で「河口が塞がる」の意味とされている。オホーツク海に昇る朝日が見られる場所として有名です。 
 興部町 アイヌ語の「オウ・コッペ」が語源で「川尻の合流しているところ」の意味です。 
 西興部村 興部町の西に位置し興部町から分村した事から西を付けて村名とした。尚、7月から8月にかけて「氷のトンネル」が出来る場所としても有名です。 
 紋別市 アイヌ語の「モ・ペツ」が語源で「静かである川」の意味とされいる。また、日高管内に旧門別があった事から「オホーツク門別」又は「北見紋別」と呼んで区別する事が多い。 
 滝上町 アイヌ語の「ポン・カムイ・コタン」で「小さい神の住むところ」の意味ですが滝の上にある事から「滝上」と命名された。 
 遠軽町 (遠軽町)
アイヌ語の「インガルシ」が語源で「見晴らしの良いところ」の意味で遠軽町のシンボルの瞰望岩(ガンボウイワ)を指すと言われています。
(旧 白滝村)
地名の由来は、古い書面によると下白滝地域に「水いきよく飛瀑する様な滝あり、雲霧を吐き白く見える滝あり」と書かれている事から「白滝」と名付けられたと言われています。
(旧 丸瀬布町)
アイヌ語の「マウレ・セプ」が語源で「三つの川の集まる広いところ」の意味とされています。
(旧 生田原町)
アイヌ語の「イキタラ」が語源で「笹」の意味で笹が多く生えていた事からと言われています。
 湧別町 アイヌ語の「ユペ」が語源で「鮫」の意味と言われています。 
 佐呂間町 アイヌ語の「サロマ・ペツ」が語源で「葦原にある川」の意味と言われています。 
 北見市 (北見市)
地名の由来は、北海道を十一国に分けた松浦武四郎がこの地区を「北見国」と命名した事からで現在の北見市は、アイヌ語で「ヌプン・ケシ」と呼ばれ「野の端」の意味で転化して「野付牛」と呼ばれた所です。
(旧 常呂町)
アイヌ語の「トー・コロ」が語源で「沼のあるところ」の意味と言われています。
(旧 留辺蘂町)
アイヌ語の「ルペシペ」が語源で「道それに沿って下るもの」又は「越路」の意味と言われています。
(旧 端野町)
アイヌ語で「ヌッケシ」で「野の端」の意味から名付けられたと言われています。 
 置戸町 アイヌ語の「オケト・ウン・ナイ」が語源で「鹿の皮を乾かすところ」の意味とされています。
訓子府町  アイヌ語の「クン・ネ・プ」が語源で「黒いところ」の意味とされています。 
 津別町  アイヌ語の「トゥ・ペツ」が語源で「二つの川」又は「山の出鼻を通っている川」の意味をされています。 
 美幌町 アイヌ語の「ピ・ポロ」が語源で「水多く、大いなるところ」の意味とされ、歌や映画の舞台にもなっている「美幌峠」のある町です。 
 大空町 (大空町)
町名の由来は、澄み切った大空、そして大空の下に広がる実り豊かな大地のもとで、住民が夢や希望を持って晴れ晴れした気持ちで暮らしていく事を目指すものとして命名した。
(旧 女満別町)
アイヌ語の「メマン・ペツ」が語源で「泉池がある川」の意味とされていて町の面積の約三分の一が網走湖が占めています。
(旧 東藻琴村)
アイヌ語の「モコト」又は「モムト」が語源で「眠っている沼」の意味とされています。 
 網走市 アイヌ語の「チ・バ・シリ」が語源で「我らの見つけた地」の意味とされています。映画などで有名な網走刑務所(旧網走監獄)がある街です。 
 小清水町 アイヌ語の「ポン・ヤワン・ペツ」で「小さな冷たい川」の意味からの意訳で付けられた。 
 清里町  小清水村と斜里村から分村した村で当時は上斜里村を称していたが昭和30年の町制施行により「清らかな里」の意味と分村の歴史を残す意味から小清水の「清」と斜里の「里」の一文字ずつ採って「清里」としたと言われています。
 斜里町  アイヌ語の「シャリ」が語源で「葦の生えてるところ」の意味とされています。知床半島の入り口の町であり、日本で二番目に長い直線道路「天に続く道」と呼ばれる道があるところです。 
 羅臼町 アイヌ語の「ラウシ」が語源で「低いところ・獣の骨のあるところ」の意味でアイヌの狩猟の地でもあった事からと言われています。 
 標津町 アイヌ語の「シ・ペツ」が語源で「大きな川」の意味です。また、この地域をアイヌ語では「メナシ(目梨)」と呼ばれ「東方」の意味とされているが現在の根室振興局(知床と北方領土を含む)一帯を指しています。) 
 中標津町 地名の由来は、標津町の内陸に位置する事からと言われています。 
 別海町 アイヌ語の「ペツ・カイェ」が語源で「川の折れ曲がっているところ」の意味で町名の呼び方が古くから「べつかい」と「べっかい」が混在している町で公的には、「べつかい」を使用しているがいまだ「べっかい」を使う人も多いです。 
 根室市 アイヌ語の「ニム・オロ」が語源で「木の繁るところ」の意味です。 
 浜中町 アイヌ語で「オタノシケ」と呼ばれ「砂浜の真ん中」の意味から名付けられたと言われています。また、ルパン三世の作者の漫画家モンキーパンチ(本名 加藤一彦)の出身地でもあります。
 厚岸町 アイヌ語の「アッケウシ」で「オヒョウニレの皮をいつも剥ぐところ」の意味と「アッケシナイ」で「牡蠣のあるところ」の意味であるアイム語の語源説があります。 
 釧路町 アイヌ語の「クスリ」で「薬・温泉」の意味や「クツチヤロ」で「喉の様なところ・沼の水が流れ出る場所」の意味、「クシペツ」、「クシナイ」で「通り抜ける事の出来る川」の意味、「クシル」で「通路」の意味などのアイヌ語の諸説がある地名です。 
 釧路市 (釧路市)
釧路町と同じアイヌ語が語源とされています。また、釧路市は、「世界三大夕日の街」として有名な場所です。
(旧 阿寒町)
 アイヌ語が語源で「アカム」の「車輪」又は「ラカン」の「ウグイの産卵」の意味と諸説ある様です。
(旧 音別町)
アイヌ語の「オムペツ」が語源で「下流のふさがる川」の意味とされています。
 白糠町 アイヌ語の「シラリカ」で「磯・超える又は満ち潮」の意味又は「シラカ」で「磯・上」の意味が語源とされているが確定していません。 
 弟子屈町 アイヌ語の「テシカ・カ」が語源で「岩盤の上」の意味とされ、日本最大のカルデラ湖の屈斜路湖や摩周湖、アトサヌプリ、川湯温泉などがある温泉と湖の町です。 
 標茶町 アイヌ語の「シベッチャ」が語源で「大きな川のほとり」の意味とされいます。また、弟子屈から分村した頃の地名は、熊牛村と呼んでいましたが昭和4年に「熊牛」が山奥を連想させる事からアイヌ語の音訳に当て字をして標茶に改称したと言われています。 
鶴居村 村名の由来は、国の特別天然記念物の「丹頂鶴」(タンチョウヅル)の生息や繁殖地である事から名付けられた。 
 陸別町 アイヌ語の「リクン・ペツ」が語源で「高い所にある川」の意味とされています。北海道でも極寒の地と有名で過去には、冬になると消火栓に不凍液代わりにアルコールを入れて凍結を防いでいたとも言われます。 
 足寄町 アイヌ語の「エショロ・ペツ」が語源で「沿って下る川」の意味とされています。町の面積は、四国地方の香川県とほぼ同じと言われていて北見市などの平成の大合併が起こる前までは、日本で一番大きな面積を有する町でした。 
 本別町 アイヌ語の「ポン・ペツ」が語源で「小さな川」の意味とされています。 
 浦幌町 アイヌ語の「オーラ・ポロ」が語源で「川尻に大きな葉が生育するところ」の意味とされています。 
 池田町 町名の由来は、鳥取藩主の池田侯爵により明治29年から開墾が始まり「池田農場」が設置された事にから名付けられたと言われています。 
 豊頃町 アイヌ語の「トエ・コロ」が語源で「大きなフキが生えてるところ」の意味です。 
 上士幌町 アイヌ語の「シュー・オル・ペツ」が語源で「鍋を漬ける川」の意味で上士幌は士幌から分村した町です。 
 士幌町  アイヌ語の「シュー・オル・ペツ」が語源で「鍋を漬ける川」の意味でアイヌの伝説によれば、むかしこの地に忍び込んだ盗賊が村人に見つかり、鍋を水に漬けたままで逃げた事からと言われています。
 鹿部町 アイヌ語の「クテクウシ」で「鹿を狩る為の柵がある土地」の意味から名付けられたと言われています。 
 新得町 アイヌ語の「シットク・ナイ」の「山の肩・端」の意味又は「シントコ」の「漆器」の意味のアイヌ語の音訳が語源と言われています。 
 清水町 アイヌ語の「ペケレ・ペツ」で「明るく清らかな川」の意味の意訳が語源とされています。 
 芽室町 アイヌ語の「メム・オロ」が語源で「泉から流れている川」の意味をされています。 
 音更町 アイヌ語の「オトプケ」が語源で「毛髪が生えている」の意味と言われ、川の流れが乱れた髪の毛の様だったからと言われていた事から。 
 幕別町 (幕別町)
アイヌ語の「マクン・ペツ」が語源で「山際を流れる川」の意味とされています。
(旧 忠類村)
アイヌ語の「チュウルイ・ペツ」が語源で「急流」の意味とされています。
 帯広市 アイヌ語の「オペレペレケプ」で「川尻が幾つにも裂けているところ」の意味でアイヌ語の上部の音を採って、十勝平野の広大さにちなんだ「広」を付けて「帯広」としたとされる。 
 中札内村 アイヌ語の「サツナイ」が語源で「乾いた川」の意味。札内川の中流に位置する事からアイヌ語に「中」を付けて名付けられたと言われています。
 更別町 アイヌ語の「サラ・ペツ」が語源で「葦又は茅が生い茂る地」の意味と言われています。 
 大樹町 アイヌ語の「タイキ・ウシ」が語源で「ノミが多いところ」の意味と言われています。 
 広尾町 アイヌ語で「ピロロ」で「陰になったところ」の意味、「ピ・オロ」で「石があるところ」の意味、「ピラ・オロ」で「崖のところ」の意味など諸説あります。 




道央地域の観光スポット

 道庁赤レンガ・札幌
 (道庁赤レンガ・札幌)
北海道経済の中心地の札幌は、明治の歴史を残しながらもリトル東京とも呼ばれた街です。札幌時計台を始め防火帯として造られた大通り公園やクラーク博士の像や札幌ドームで有名な羊ヶ丘展望台、大倉山、日本の滝100選にも選ばれたアシリベツの滝などの観光スポットがある場所です。
 神威岬・積丹  (神威岬・積丹)
江戸時代からこの岬より女人禁制の場所であり、海上交通の難所ともされていた源義経の伝説がある岬です。また、歴史の街・小樽から神威岬までの海岸線は、蝋燭岩やセタカムイ岩、積丹岬など日本海の荒波が創り出した奇岩石が多く点在する観光スポットです。
 羊蹄山・ニセコ  (羊蹄山・ニセコ)
蝦夷富士とも呼ばれる北海道を代表する山のひとつです。また、羊蹄山の雪解け水が湧き出している噴き出し公園などもある他、周囲には、ニセコ連山や洞爺湖などがあり、自然豊かでアウトドアなどが楽しめる観光地です。
 大湯沼・登別 (大湯沼・登別)
北海道を代表する温泉地の登別の源泉が湧く大湯沼です。積丹ニセコ洞爺登別火山帯の火山活動が見られる温泉地です。また、風光明媚な奇岩石が見られる室蘭の絵鞆半島や白老の倶多楽湖、北海道三大アイヌ部落のポロトコタン、日本の滝100選に選ばれたインクラの滝、樽前ガローなど観光スポットがあります。 

 地名  地名の由来
 札幌市 アイヌ語の「サツ・ポロ・ペツ」が語源で「湿地が広がる川」又は「乾いた大きな川」の意味と言われいます。 
 石狩市 (石狩市)
地名の由来は、諸説ある様ですが有力なのがアイヌ語の「イ・シカラ・ペツ」が語源で「曲がりくねった川」の意味と言われています。
(旧 浜益村)
アイヌ語の「アママスケ」が語源で「雑穀・煮る」の意味とされています。
(旧 厚田村)
アイヌ語の「アッタ」が語源で「オヒョウニレの樹皮・採る」の意味とされています。 
 当別町 アイヌ語の「トウペツ」が語源で「沼から来る川」の意味と言われています。また、仙台藩の伊達邦直によって開拓の歴史が始まった場所でもあります。 
 新篠津村 村名は、母村だった篠津村(現・江別市)に由来する。篠津は、アイヌ語の「シリノッ」が語源で「 突き出たあご」の意味で頭に「新」を付けたと言われています。
 江別市 アイヌ語の「ユペ・オツ」で「チョウザメのいる川」の意味又は「イ・プツ」で大事な入口」の意味、「ユ・ペツ」で「硫黄の流れ込む川」の意味など諸説があります。 
 恵庭市 アイヌ語の「エエンイワ」が語源で「鋭く尖った山」の意味と言われています。 
 北広島市 1884年に広島県の段原村(現在の広島県広島市広島南区段原)から25戸が集団移住したのが始まりでこの事から広島の地名の由来となったが市制により市になった時に広島市が存在する事から頭に「北」を付けて「北広島」となった。 
 千歳市 アイヌ語の「シ・コツ」で「大きな窪地」又は「谷」の意味ですが「シ・コツ」の音の響きが「死・骨」と聞こえ縁起が悪い事から当時この地に「丹頂鶴」がいた事から「鶴は千年、亀は万年」から縁起を担いで1805年(文化2年)に「千歳」と命名された。 
 深川市 アイヌ語で「オオホ・ナイ」で「深い・川」の意訳からと言われています。 
 沼田町 明治27年に富山出身の小樽の米穀商の「沼田喜三郎」が本願寺農場・開墾委託株式会社を設立して当時、幌新太刀別川流域(現 沼田)の開墾を始めた事が始まりで明治43年に鉄道が開通した際に沼田所有の農場内に駅が設置され「沼田駅」と命名され、大正11年に自治体名となった。 
 秩父別町 アイヌ語の「チクシ・ペツ」が語源で「通路のある川」の意味とされている。 
 北竜町 アイヌ語の「ウリロ・ペツ」で「鵜・そこに軍在する・川」の意味で雨竜町の北に位置する事から「北」と付けたと言われています。 
 妹背牛町 アイヌ語の「モセ・ウシ・イ」が語源で「イラクサ・繁茂している・処」又は「茅刈をする・習いである・もの(場所)」の意味とされている。 
 雨竜町 アイヌ語の「ウリロ・ペツ」が語源で「鵜・そこに軍在する・川」の意味とされています。
 新十津川町 明治22年に奈良県吉野郡十津川村での十津川大災害の被災民が入植して開墾した事から新しい十津川郷でこの名が付けられた。 
 滝川市 アイヌ言で「ソー・ラプチ・ペツ」で「滝のある川」の意味で意訳です。 
 赤平市 アイヌ語の「アカ・ピラ」が語源で「山稜(やまかど)の崖」の意味とされています。 
 芦別市 アイヌ語の「アシ・ペツ」が語源で「灌木の川」の意味とされています。 
 歌志内市 アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ」が語源で「砂浜・ついてる・川」の意味又は「ペンケ・タウシュ・ナイ」で「砂のたくさんある沢」の意味からと言われています。 
 砂川市 アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ」で「砂浜・ついてる・川」の意味の意訳とされています。 
 上砂川町 地名の由来は、砂川市のパンケ・ウタシナイ川の上流に位置する事から上砂川と命名した。 
 奈井江町 アイヌ語の「ナイエ」が語源で「その川」又は「両岸の高い川」の意味とされています。 
 浦臼町 アイヌ語が語源で「ウライ・ウシ・ナイ」で「網を干すところの川」又は「ウラシ」で「笹の多いところ」の意味と言われています。 
 月形町 町名の由来は、北海道に樺戸集治館(現 月形刑務所)が建設された時の初代の典獄(刑務所長)の月形潔の姓から名付けられた地名です。 
 美唄市 アイヌ語の「ピパ・オ・イ」が語源で「カラス貝の多く棲む沼」の意味とされています。 
 三笠市 地名の由来は、明治時代に存在した空知集治監の建物の裏山が奈良の三笠山に見える事からと言われています。 
 岩見沢市 明治11年に幌内炭山の開発の為に多くの工事関係者や人夫などの為に幾春別川の川辺に浴場があった事から「湯を浴びる沢」から「ゆあみざわ」となり当て字をあてて現在の「岩見沢」の地名となったと言われています。 
 夕張市 アイヌ語の「ユー・パロ」が語源で「鉱泉の湧き出るところ」の意味とされています。 
 栗山町 アイヌ語で「ヤム二・ウシ」で「栗の木・多いところ」の意味の意訳と言われています。 
 由仁町 アイヌ語の「ユウンニ」が語源で「温泉のあるところ」の意味とされています。 
 長沼町 アイヌ語の「タンネ・ト」で「細長い・沼」の意味で開拓前に細長い三日月湖が多かった事から「細長い沼」に由来していると言われています。 
 南幌町 アイヌ語で「ポロ・ナイ」で「湾曲して緩やかに流れる川」の意味ですが当時は漢字で「幌向」と表記したが現在の岩見沢市に同名の地名があって紛らわしい事から町制施行の際に「南幌」となった。 
 平取町 アイヌ語の「ピララトぅル」が語源で「崖の間」の意味とされています。 
 日高町 (日高町)
地名の由来は、日高山脈の麓にある事から名付けられたと言われています。また、日高町と門別町の飛び地合併により「日高町」となった。
(旧 門別町)
アイヌ語の「モペツ」が語源で「静かな川」の意味とされています。 
 新冠町 アイヌ語の「ニカプ」が語源で「ニレの木の皮」の意味とされています。 
 新ひだか町 (新ひだか町
当初は、新冠町と三石町、静内町の3町合併で市への移行を目指して協議し、新市名を「ひだか市」に決めていたが新冠町が合併期日の延期を申し入れ事で静内町と三石町の両町で合併、「新ひだか町」となった。
(旧 三石町)
アイヌ語の「ピトウシ」で「小石の多い土地」の意味で転訛して「三石」となった説が有力です。
(旧 静内町)
アイヌ語の「スッナイ」で「祖母の沢」野意味又は「ストッナイ」で「ブドウづるの沢」の諸説ある様です。 
 浦河町 アイヌ語の「ウララ・ペツ」が語源で「露深き川」の意味とされています。 
 様似町 町名の「さまに」は、アイヌ語の「サマムニ」又は「サムンニ」で「倒れ木」の意味、「エサン・ペツ」で「カワウソの川」の意味など諸説がありハッキリしていません。 
 えりも町 アイヌ語の「エンルム」が語源で「岬」又は「突出た頭」の意味とされています。 
 むかわ町 (旧 鵡川町)
アイヌ語の「ム・カ」で「水が湧き出す」の意味、又は「ムカプ」で「ツル人参があるところ」、「ムッカプ」で「塞がる川」などの諸説がある様ですが確定していません。
(旧 穂別町)
アイヌ語の「ポン・ペツ」が語源で「小さい川」の意味です。 
 厚真町 アイヌ語の「アット・マム」で「向こうの・湿地帯」の意味と「アトマプ」で「オヒョウニレ・ある・場所」などの説があります。 
 安平町 (安平町)
アイヌ語の「アラ・ピラ・ペツ」が語源で「片方に崖のある川」の意味と言われる。早来町と追分町が合併して安平町となった。
(旧 早来町)
アイヌ語の「サラ・ルベシペ」で「夏に超える沢道」や「サクル」で「夏・道」と呼ばれていたものに字を当て「早来」を「さっくる」と読ませたものが「はやきた」になったと言われています。
(旧 追分町)
町名の由来は、鉄道の室蘭本線と夕張線(現 石勝線)の分岐点である事から分ける事の「追分」が地名となったと言われています。 
 苫小牧市 アイヌ語の「トマコマナイ」が語源で「沼の奥にある川」の意味とされています。 
 白老町 アイヌ語の「シラウオイ」が語源で「アブの多いところ」の意味です。 
 登別市 アイヌ語の「ヌプル・ペツ」が語源で「色の濃い川」の意味で温泉水が川に流れ込み白く濁っていた事からと言われています。 
 室蘭市 アイヌ語の「モ・ルエ・ラン」が語源で「小さな坂道の下ったところ」の意味で明治初期までは、「モルラン」とも呼ばれていた。 
 壮瞥町 アイヌ語の「ソー・ペツ」が語源で「滝の川」の意味です。 
 伊達市 (伊達市)
明治2年に仙台藩の亘理の伊達邦成が明治政府により有珠郡支配を命じられた事から開村、「伊達村」となった事から名付けられたと言われています。
(旧 大滝村)
村内に三段滝があり、その滝が地名の由来とされて言います。 
 洞爺湖町 (洞爺湖町)
アイヌ語の「トー・ヤ」が語源で「湖の岸」の意味で明治20年に香川県から76名が旧洞爺村大原地区に入植した事が始まりと言われています。
(旧 虻田町)
アイヌ語の「アプタ・ペツ」で「釣り針を作る川」又は「ハプタ・ウシ」で「いつもウバユリの球根を掘るところ」が語源と言われています。 
 豊浦町 アイヌ語の「ペーペナイ」で「水の豊かな川」の意味で農水産物が豊富で内浦湾に面している事から「豊浦」となったと言われています。 
 小樽市 アイヌ語の「オタ・オル・ナイ」が語源で「砂浜の中の川」の意味とされている。 
 余市町 アイヌ語の「イオチ」が語源で「マムシ・群棲む・その」の意味とされています。 
 古平町 アイヌ語の「フレ・ピラ」が語源で「赤い崖」の意味とされています。 
 積丹町 町名の由来は、アイヌ語の「シャク」の「夏」と「コタン」の「村」の二語を合わせたもので「シャク・コタン」の「夏の村」が語源とされています。 
 神恵内村 アイヌ語の「カムイナイ」が語源で「美しき神秘の沢」の意味とされています。 
 泊村 アイヌ語の「モイレ・トマリ」が語源で「静かな・泊地」の意味とされています。 
 共和町 町名の由来は、昭和30年に小沢村、前田村、発足村の3村が合併して共和村が誕生。 
 岩内町 アイヌ語の「イワウナイ」の「硫黄の川」とする説と「イワナイ」の「山の川」との説があります。 
 赤井川村 アイヌ語の「フレ・ペツ」で「赤い・川」が語源とされています。 
 仁木町 町名の由来は、明治12年に仁木竹𠮷ら360余名が徳島県(現 徳島県吉野川市)から集団入植したのが始まりで仁木の名にちなみ町名とした。 
 倶知安町 アイヌ語で諸説あり「クッ・シャン・イ」で「管の様なところを流れ出る場所」に意味や「クチャ・アン・ナイ」の「狩り小屋のある沢」の意味などがあります。 
 京極町 地名の由来は、開拓を率いた旧丸亀藩主の京極高徳が京極農場をこの地に開場した事からその名を取って名付けられた。 
 喜茂別町 アイヌ語の「キム・オ・ペツ」が語源で「山・ある・川」の意味とされています。 
 留寿都村 アイヌ語の「ル・スッ」が語源で「道が山の麓にある」の意味と割れています。 
 真狩村 アイヌ語の「マッカリペツ」又は「マク・カリ・ペツ」が語源で「後ろ・まわる・川」の意味と言われています。 
 ニセコ町 アイヌ語の「マク・カリ・ペツ・プトゥ」で「マッカリペツ川の川口」に当て字をした「真狩別太」を略して「狩太」の名で呼ばれていたが昭和38年に国鉄の駅名「狩太駅」から「ニセコ駅」に改名する要請を受け、昭和39年に「ニセコ町」と改名した。 
 蘭越町 アイヌ語の「ランコ・ウシ」が語源で「桂の木が多いところ」の意味とされています。 
 寿都町 アイヌ語の「スッツ」に由来とされ。語源は「シュプキペツ」で「矢柄に用いる茅のある川」の意味とされているがハッキリしない。 
 島牧村 アイヌ語の「シュマコマキ」が語源で「岩石の後背」の意味とされています。 
 黒松内町 アイヌ語の「クル・マツ・ナイ」が語源で「和人の女のいる沢」の意味とされています。明治4年に伊達邦成の家臣13戸が黒松内市街に入植、また、斗南藩士24戸なども入植したのが始まりです。 




道南地域の観光スポット

 駒ヶ岳・七飯
 (駒ヶ岳・七飯)
駒ヶ岳の地名の由来は、大沼方面からの山容が馬が嘶いている様な姿に似ている事からと言われています。また、山麓には、堰止湖である大沼や小沼、黒田清隆が名付けたと言われる蓴采沼(ジュンサイ沼)があります。近くには、鳥崎八景(森)や鹿部の間欠泉、きじひき高原のパノラマ展望台や噴火湾眺望台などの観光スポットがあります。
 函館ハリストス正教会・函館  (函館ハリストス正教会・函館)
別名「ガンガン寺」と呼ばれ函館市民には親しまれている教会で日本の音風景100選にも選ばれている教会です。特に元町地区には、カトリック元町教会や函館聖ヨハネ教会、日本基督教団函館教会などの他、大三坂やチャチャ登り、八幡坂、基坂などの坂の街でもあります。また、五稜郭跡など観光スポットの多い地域です。
 トラピスト修道院・北斗上磯  (トラピスト修道院・北斗上磯)
正式名は「厳律シート会灯台の聖母大修道院」と言い、日本で最初の男子修道院です。また、松前までの海岸線は、松前矢越道立自然公園にも指定されていて青函トンネル記念館や福島出身の千代の山・千代の富士記念館、白糸の滝、みさご沢の滝、北海道最南端の灯台がある白神岬、日本で最後の和式築城があった松前など観光スポットがあります。
 親子熊岩・せたな (親子熊岩・せたな)
海の神様が愛の姿を岩に変身させたと言う伝説があるせたなの大成地区の海岸線にある親子熊岩。江差からせたなの海岸線は、北海道でも有数な奇岩石や奥尻島が海岸線から見る事の出来る地域です。また、北海道でも古い灯台として「定燈篭」、北海道最古の山岳霊場・大田山神社など様々な観光スポットが沢山あります。 

 地名  地名の由来
 長万部町 アイヌ語の「オサマムペツ」で「川尻が横になっている」の意味、若しくは「オ・シャマンペ」で「ヒラメのいるところ」の意味と言われています。 
 八雲町 (旧 八雲町)
平成17年に八雲町と熊石町が合併した町で日本海を太平洋に面する町として日本唯一の町です。また、町名の由来は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が詠んだとされる「八雲立つ、出雲八重垣妻ごみに、八重垣作る、その八重垣を」の和歌にちなみ、当時の開拓を指導した旧尾張藩の徳川慶勝が自ら命名したものと言われています。 
(旧 熊石町)
アイヌ語の「クマウシ」が語源で「魚を乾かす竿のあるところ」の意味と言われています。
 森町 (旧 森町)
平成17年に森町と砂原町が合併。地名は、アイヌ語の「オニウシ」で「樹木の多くあるところ」の意味が語源と言われています。また、北海道の町で唯一「ちょう」とは読まず「まち」と呼ぶ地名自治体。
(旧 砂原町)
アイヌ語の「サラキウシ」で「鬼茅のあるところ」の意味と言われています。 
 七飯町 アイヌ語の「ナムナイ」が語源で「冷たい川」の意味と言われています。 
 鹿部町 アイヌ語の「シケルペ」が語源で「キハダのあるところ」の意味と言われています。 
 北斗市 (北斗市)
平成18年に上磯町と大野町が合併して公募によって決まった市名。尚、北斗とは、「小さな星がかたまりあって一つの核をなす」とも言われる事から「北斗」と名付けられたと言われています。
(旧 大野町)
アイヌ語の「オンネ」で「大きな岩」の意味を語源とする説と福井県大野市からの移住者が多かったからの説、広い野原だった事からなど説など諸説ある様です。
(旧 上磯町)
函館市の西部(上)に位置する海岸(磯)から付けられたと言われています。 
 函館市 (函館市)
地名の由来は、15世紀の初頭、東北の武将・下国安藤氏の家臣の河野政通が当時アイヌ語で「宇須岸(ウスケシ)」で「 湾の端」の意味で呼ばれていた場所の函館山の山麓に四角い館を築いていた事から「箱形の館」から「箱館」となり、明治時代に現在の「函館」と改名したと言われています。また、平成16年に函館市、戸井町、恵山町、南茅部町、椴法華村を合併。
(旧 戸井町)
アイヌ語の「チエトイペツ」が語源で「食べる土のあるところ」の意味と言われています。
(旧 恵山町)
アイヌ語の「イエサン」が語源で「火を噴き溶岩が流れ落ちる」の意味と言われています。
(旧 南茅部町)
アイヌ語の「カヤウンペシュ」が語源で「帆の崖」の意味と言われています。
(旧 椴法華村)
アイヌ語の「トトボケ」が語源で「岬の陰」の意味と言われています。
 木古内町 アイヌ語の「リコナイ」で「高く昇る源」の意味、または、「 リセナイ」で「潮の差しいる川」の意味など諸説ある様です。
 知内町 アイヌ語の「チリ・オチ」が語源で「鳥・居るところ」の意味と言われています。 
 福島町 アイヌ語の「ホロカ・ナイ」で「潮が入って来て河水が逆流する川」の意味である寛永元年(1624年)に月崎神社の御神託により藩に願い出て福島村を改村した事からと言われています。 
 松前町 アイヌ語の「マト・マイ」が語源で「婦人の居るところ」の意味と言う説と当時の領主の蠣崎氏が徳川幕府の松平氏の「松」と幕府に関して世話になった前田氏の「前」を取って「松前」とした説があります。 
 上ノ国町 町名の由来は、15世紀初頭の渡島半島各地に12の箱形の館(砦)が築かれ蝦夷地を支配していた。この時に箱館周辺を「下之国」と呼び現在の上ノ国及び江差の周辺を「上之国」と呼んでいた事が町名になったと言われています。 
 江差町 アイヌ語の「エサシ」が語源で「岬」の意味と言われています。 
 乙部町 アイヌ語の「オトウシペ」が語源で「河口に沼のある川」の意味と言われています。 
 厚沢部町 アイヌ語の「アッ・サム」で「楡(にれ)皮・のそば」の意味の説や「ハッチャム」で「桜島」などが語源とされる説などがあります。 
 せたな町 (せたな町)
平成17年に大成町・瀬棚町・北檜山町が合併して出来た町でひらがなの「せたな町」に改称した町名。
(旧 大成町)
町名の由来は、昭和30年に久遠村と貝取澗村が合併した際に町の発展を願って「大成」と名付けられたと言われています。
(旧 瀬棚町)
アイヌ語の「セタルペシュペナイ」で「犬が泳ぎ渡る川」の意味が略され「セタナイ」となったのが語源と言われています。
(旧 北檜山町)
町名の由来は、檜山支庁の北部に位置する町であった事から「檜山」に「北」を付けて「北檜山」と名付けたのが語源と言われています。
 今金町 町名の由来は、明治26年に今金地区に今村藤次郎と金森石郎が入植した事から両名の名字の頭の一字を取り「今金」となったと言われています。また、明治24年に神丘地区にキリスト教徒の理想郷を求めて調査に入り、明治26年には、会衆派と日本聖公会の教徒約60戸が入植したと言われています。 
 奥尻町 アイヌ語の「イクシュン・シリ」で「その向うの・島」の意味に由来し転訛したと言われています。 






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